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zoom RSS 「実学か、教養か」・・・3月12日朝日新聞「経済気象台」に思う

<<   作成日時 : 2015/04/14 17:09   >>

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朝日新聞の金融面に「経済気象台」というコラムがあります。社外の方がペンネームを用いて執筆しているコーナーで、比較的読みやすく天声人語とともに欠かさず読んでいます。

およそ1か月前のそれは、法科大学院が淘汰されつつある現状から、大学も「経営品質」が問われる時代になった、と切り出しています。その中で、特に教育の「能力」と「中身」が問われているのであって、「大学の教員は、研究者なのか教師なのかという問いがあるが、建前は『研究業績をあげ,それを数える』ことになっている。だが、本を書かないどころか、論文も書かない『研究者』が多数である。」と、述べていました。

大学の大衆化という時代の流れの中で、実に興味深い論点のように感じましたので、切り取って保管していました。時あたかも、僕の尊敬する大学時代の教授が退官するにあたって、著した一冊の本を読み終えたところです。

その本の冒頭には、「来し方を振り返って文章を綴り、一冊の本に編むといった心境になるのは、いったいどんなときだろうか」と記されていました。

来し方を振り返るという先生は、大学人としてご自分のこれまでの在り方を次のように表現していました。
「教育というものは難しいもので、わたしは学生たちの持てる力を伸ばすこと、彼らが伸びるように仕向けることに意を用いてきたつもりです。細々としたどうでもいいような知識の注入よりも、どうしたら彼らの力を伸ばすことができるか、この点が大事だと考えたわけです。ゼミでも、自分の好みに合わせて気に入らない芽をチョッキン、チョッキンと切ってしまうことがないように、彼、彼女の場合はどちらの方向に幹や枝を伸ばしたらいいのか、どんな肥料を施すのがいいのか、ということに力を入れるように心がけることにしました。」

遠い僕の学生時代を考えてみると、教育という観点を持ちながら教壇に立っていた教授は、やはり少なかったように思います。もちろん、最高の学問の府という呼称が僅かながら残っていた時代ですから、学生が自ら探究心と向学心を持って勉学に励むのは当然だと思います。しかし、教授自らがこのような考えで学生たちに接していられたということに頭が下がりました。研究者としての実績と学識経験者としての経歴を十分お持ちの先生が優れた教育者であったことは、これらの言葉からも明白です。それだからこそ、現役のゼミ生がいなくなっても年に一度のOB会が続いているのでしょう。

翻って、この記事のように大学の経営の品質が問われている一方で、学生の幼稚化が叫ばれて久しく、最早最高学府の名に値しない大学が増殖している現実を考えると、この際、大学教授には研究者であるとともに教育者であることが強く求められるのは致し方ないように思いました。

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