驟雨 突然の雨に打たれても

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zoom RSS 東寺で日常の信仰に触れる

<<   作成日時 : 2015/11/11 21:38   >>

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京都に移動して迎えた朝も夜明け前から起き出して、ホテルから真言宗の総本山である東寺まで歩きました。一年を通して毎朝欠かさず執り行われているというお勤めに参加するためです。

月明かりが残る漆黒の中、慶賀門を抜けて食堂脇を進むと御影堂の前に辿り着きます。お参りに来ている地元の方の列に並び、6時の開門を待つわけですが、その待つ間に見上げる空と食堂の赤い灯りが何とも美しく、朝の冷たい空気とともに何とも心地よさを感じたのでした。

10回の鐘の後に開門となり、門をくぐり抜ける前に一礼をして進みます。日常の行いとなっている地元の後をついて御影堂の外陣へと足を踏み入れます。それから始まるのは、「生身供(しょうじんく)」と呼ばれる開祖弘法大師空海に一の膳・二の膳・お茶をお供えするという法要です。「東寺真言宗在家勤行法則」という経本を手にし、この法要が日常の生活に溶け込んでいる人々の中に一介の旅行者である僕が紛れ込んでいるのは、若干の肩身の狭さを感じます。

そんな思いを感じている暇もなく、堂内にいる人々が声を上げて経を唱え始めます。失礼かとは思いつつ、僕の左隣に座ったご婦人の経本を横目で眺めていると、そのご婦人は経本をずらし、念じているところを指で示すのでした。振り仮名がふられた経文は、ちらりと見ただけで何故かすっと頭に入ってくるから不思議です。そうなると、後は節回しというかリズムです。最初は小さな声でしたが、徐々に声を大きくして、最後の頃の般若心経まで唱えてしまいました。

そして、僧侶が僕たちの方に歩み出てきます。ご婦人の指示に従って、頭を垂れて両掌を差し出します。そして、弘法大師が持ち帰ったという仏舎利を頭と掌に授かるのです。再びご婦人の指示で、授かったら後ろへ下がりました。おそらく観光で来た人が訪れることも多いのでしょう。旅の者にも温かい心配りには本当に頭が下がりました。

こうして、爽やかな朝の空気の下で、経文を唱えたことで背筋がピンと伸びる思いとなりました。作法をわきまえずに日常の信仰の場に足を踏み入れることは失礼なことであり、僕自身熱心な仏教徒ではありませんが、こうして一日も欠かさずこの法要が行われていることの当り前さに敬意を表するとともに、ある種の凄みを感じたのでした。

時代の流れのテンポが速く、効率ばかりを追い求める風潮が強い現在、こうして変わらないことの大切さを感じたひとときでした。

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