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zoom RSS 談山神社で廃仏毀釈を思う

<<   作成日時 : 2016/06/01 13:44   >>

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黒岩重吾さんの古代小説、「落日の王子 蘇我入鹿」や「天の川の太陽」影響が強かったせいか、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣(藤原)鎌足を好きになれませんでした。そのため、奈良を訪れても談山神社に足を運んだことは一度もありませんでした。

しかし、この四月に初めて訪れると、檜皮葺の十三重塔のあまりの美しさに目を奪われ、境内の偉容に新鮮な驚きを感じるとともに、過去の繁栄に思いを馳せつつ、その歴史に強い興味を惹かれたのでした。そもそも談山神社は鎌足の長男の僧定恵が、父の遺骸を摂津の国から移送したことに始まり多武峯妙楽寺として栄え、塔婆の信仰を中心とする妙楽寺と、木像を祀る聖霊院があり、平安時代には談山権現の称号を与えられたそうです。

それが、明治政府の廃仏毀釈で神社に形態を変え、今日に至っています。妙楽寺としての建物が朱に染められ、講堂は神廟拝所に、聖霊院は本殿に名を変えています。神廟拝所の天井に残る飛天が正にその歴史の生き証人のように思いました。

それにしても、このような大きな転換が行われたことについて、神社の紹介のパンフレットには記載がほとんどありません。また、廃仏毀釈というと遠い高校時代の日本史を思い出すのですが、国策として仏像などを破壊した程度の記憶しかありません。そのため、その背景などについて書物を読んでみようと、アマゾンで探したのですが、文献のあまりの少なさに驚きました。

その驚きは、違和感と敢えて触れてはならないという時の権力の意向が反映されているのではないかという疑念に変わりました。取り敢えず手にしたのは、安丸良夫教授の「神々の明治維新・・神仏分離と廃仏毀釈」で、それすらも1979年の刊行です。そこでは、皇統と国家の功臣を祀っていくという国家神道的なものが底辺にあり、日本人の精神史伝統に転換をもたらした、と書かれています。

翻って、復古的な動きが顕在化しつつある現在のわが国の状況を照らし合わせると、得体の知れない薄気味悪さを感じています。

初めて訪れた談山神社で、過去には山全体が壮大な伽藍であっただろうことや紅葉の時期の美しさに思いを馳せ、次の機会までにその歴史を学んでおきたいと思っています。

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