命のバトン・・・さだまさしさんの精霊流し

見逃してしまったNHK「SONGS」を見ました。今年の8月は、暑くて暑くて寝苦しい夜が続いていますが、生と死、戦争と平和を考える機会がいつになく多い1ヶ月でした。

今読んでいる大崎善生さんの「ランプコントロール」にも、生きることということは何かという重いことがテーマの一つになっています。その中で、彼は主人公に次のように言わせています。
「人間の生きる目的とは、もしかしたら自由を獲得することなのではないかと。人は一生という長い長い時間をかけて、我慢をしたり努力を重ねながら、自由を求める生き物ではないか。どんなに金があっても名誉があっても、自由がなければ意味がない。」
ある意味で、幸せのことにも繋がっているようにも思いました。幸せとは、誰もその形を目にすることはできないものですし、それは人の心の中にあるものだからなのです。つまり、それは人それぞれに異なるものであるし、そのことのキイワードが自由なのかもしれないと従前から思ったりもしていました。

また、星野道夫さんは、「人はいつも、それぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだ」と言い、一方ではその著「イニュニック 生命」の中で「無窮の彼方へ流れゆく時をめぐる季節で確かに感じることができる。一年に一度、名残惜しく過ぎ行くものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数をかぞえるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれない」とある種無常観を綴っています。

そして、お父様を送ったさだまさしさん。
音楽としての「精霊流し」は、防人の歌と並ぶ挽歌との思いを改めて強くしました。
死者を送る葬送の儀式である精霊流し。
何よりも長崎の人たちが、あの昭和20年の夏にも、精霊船を出したことに尊敬の念と共に、ある種凄みすら感じます。
彼は、コンサートトークで命のバトンという言葉を口にします。人は物体としてはこの世から消えても、今を生きている人の心の中に亡くなった人の思いが氷河のように生き続けていれば、その人は次の世代の心の中に生き続けているのですよ・・・・。と、語りかけてきます。生き残った者と死せる者のそれが命のバトンなのだと・・・。
テレビの画面を見ながら、そんなことを思い出していました。
今改めて・・・佐田雅人さんに  合掌。

そして、いつの間にか、僕も自分の人生を大きく変えることになった、父の発病時の年齢を超えてしまいました。