あきらめと畏怖の自然・・・あらためて 星野道夫さんの言葉

「楽しそうに氷河の軋む音を語りながら 竜巻のように舞うオーロラを歌うように写した  あなたは風のような物語を駆け抜けるように 白夜の黄昏の光の中に帰っていった」と、「白夜の黄昏の光」の中でさだまさしさんが歌い上げた星野道夫さん。彼は、その著「アラスカ 光と風」の中で次のように自然に関する考え方を示しています。

「河の末端は、絶えず崩壊をくり返している。島をひとまわりして、氷河と向かいあっている浜辺にカヤックをつける。僕がカヤックを出ようとすると、氷河の前面が幅百メートルにわたっていっせいに崩れだした。崩れるというより、剥がれるといったほうが的確かもしれない。大きな爆発音がして島が揺れた。海が大きく盛りあがっていた。小さな津波がこちらに向かってくるではないか。ぼくはどうしていいかわからない。ともかく逃げなければならない。重いカヤックをあわてて浜に引きずりあげた。しかし、もう間に合わない。大きな波は浜辺で崩れおち、そのまま押しよせてきた。僕もカヤックもずぶ濡れになってしまった。荷物のほとんどを防水性の袋に入れてあったのが不幸中の幸いだ。波が引いたあとも、動悸がおさまらない。
この土地の自然がとてつもなく大きな力で動いていることを改めて知らされた。人間に安らぎを与えてくれる親しみやすい自然ではなく、あきらめと畏怖の感情を抱かせる強面の自然だ。」

あきらめと畏怖の感情を抱かせる強面の自然・・・。
この言葉が、心にずしりと響きます。
自然が人間に恵みを与えてくれることと裏腹に、時として牙をむいて、人間の力ではどうすることもできずに呆然とその脅威を足のすくむ思いで見送るだけにならざるを得ないこともある、いやそれだけならまだしも人間が作り出した物を、生命をも奪い去っていってしまうこともあります。そして、その猛威が過ぎ去った後には、何事もなかったかのように、いつものように安らぎを与えてくれる親しみやすい自然の顔になってしまいます。

正に、今回の震災がそれで、あらためて今までの繁栄は、幻であったようにも考えてしまいます。快適で文化的な生活、当たり前に考えていたことが揺らいでいます。

日本人にとって、3.11はアメリカ人にとっての9.11に匹敵する、そして66年前の8.15終戦の日と並ぶエポックメイキングの日になることでしょう。
自然を克服するのではなく、いかに自然と調和していくか、あるいは自然の脅威に畏怖の念を抱いて、どのように社会を構築していくか、これからの僕たちが考えなければならないテーマだと思います。