「山河破れて国あり」五木寛之さんのメッセージ

「8.15からの眼差し 震災5ヶ月」とのタイトルの下で、66年前の敗戦を生身で体験している世代は、この大震災をどのように受けとめているかを語り、記す企画が8月3日から日経新聞文化欄で始まりました。第1日目は、敗戦の夏を平壌で迎え、およそ2年の間帰国が叶わず、現地での生活を余儀なくされた経験を持つ五木寛之さんでした。

五木さんは、津波の被害を受けた町や福島第一原発の建屋を見るにつけ、原爆の被害を受けた都市や絨毯爆撃を受けて一面瓦礫となった東京の姿がダブって見えると語り出します。そして、「ものの考え方、感じ方も3月11日以前と以後とでは、がらっと変わった。何をするにも必ず一つの色が入り込んできて、その色を通してしか周囲が見えない、という実感がある。だから私は『第二の敗戦』と受けとめています」と続けています。

その変わってしまったことを66年前の敗戦の時には国は敗れたが、日本の里はあったとして、『国破れて山河あり』という状況だったが、この震災以後の状況を次のような言葉で表現しています。
「いま私たちに突きつけられているのは、『山河破れて国あり』という現実ではないか。歌にもうたわれたお茶の葉からも放射能が検出されるようになった。何より悲劇的な問題は、汚染が目に見えないことだ。依然として山は緑で海は青い。見た目は美しくて平和でも、内部で恐ろしい事態が進行している。平和に草をはんでいる牛さえも内部汚染が進んでいるかもしれない」。

そして、国ありとは、「原発の再開も、復興の予算も今は国が決定する。今は国もあるんです。ただ、今ほど公に対する不信、国を愛するということに対する危惧の念が深まっている時代はない。戦後日本人は、昭和天皇の玉音放送のように、耐えがたきを耐え、忍びがたき忍び、焼け跡から復興をめざし国民一丸となってやってきた。今、大変な大きな亀裂が、ぽっかり口を開けている」と述べています。さらに、原発事故で安全を強調する政府の発表については、五木さん自身の朝鮮半島から引き揚げの体験から、国が公にする情報は、一般人がパニックになることを恐れた上での、一つの政策であると言い切っています。

最後に私たち日本人がどういう場所に立たされているのかという問いには、こう答えて結んでいます。
「私たちは、原発推進、反対を問わず、これから放射能と共存して生きていかざるを得ない。(中略)その人体への影響の度合いは、専門家によってあまりにも意見の開きがある。だから、政府の情報や数値や統計ではなく、自分の動物的な感覚を信じるしかない。(中略)第一の敗戦の時はまだ明日が見えた。今は明日が見えない。だから今この瞬間を大切に生きる。国は私たちを最後まで守ってはくれない」

五木さんの人生観を大きく変えることになった朝鮮半島からの引き揚げ体験。彼の著作「運命の足音」に収録された「57年目の夏に」を読んで、終戦後朝鮮半島で体験したことの凄まじさに強烈なショックを受けたことが甦ります。虚無的だとか、シニカルだとか、人それぞれ受け止め方は異なると思いますが、「国は私たちを最後まで守ってくれない」という言葉は重く、説得力があります。

明日が見えないという絶望の淵に私たちは立たされているという思いも、決して誇大妄想だと断じることはできないでしょう。しかし、地震国日本に生まれてきてしまった以上、それでも生きていかなければなりません。人を信じ、何かを信じていかなければ、人は生きてはいけないでしょう。為政者たちの無様さばかりを見せつけられ続けて嘆くことばかりですが、顔を上げて、前を向いて、精一杯生きていかなければならないと思います。