北方謙三さんの 『史記・・武帝紀』 完結

漢の武帝、張騫、衛青、霍去病、匈奴の冒頓単于。高校の世界史を思い出す何ともワクワクしてしまう名前が並んでいます。北方謙三さんの『史記・・武帝紀』全7巻を読み終えました。

中国史ものとして三国志や水滸伝などで定評のある北方謙三さんが、司馬遷の「史記」の中から在位50年を超える漢の武帝の時代を匈奴との戦いを中心として生き生きと描いています。

物語の序盤、軍事の天才、衛青、霍去病の匈奴討伐や、のちのシルクロードの起源ともなった張騫の西域への冒険に、あっという間にその世界へ引きずり込まれてしまいました。第1巻の刊行からおよそ4年、一巻ずつ買い溜めこんでおいて完結する7巻が刊行されてから一気に読んだのですが、そうではなく刊行されるたび読んでいたのでは次巻が待ち遠しくて気も狂わんばかりになってしまったことでしょう。

匈奴の脅威から漢を解き放った衛青、霍去病亡き後の中盤からは、司馬遷が登場するとともに李陵や蘇武を中心にしつつ、生きることとは、あるいは国家と人の関わり方とはの観点から長期に及んだ武帝の御代の問題を焙り出していきます。

中でも、匈奴に捕らわれの身となった蘇武が厳寒の北の地に流され、その地で生きていくさまの描写は、示唆に富んでいて、極北の地で数々の写真と美しい文章を残して逝った星野道夫さんを思い浮かべずにはいられませんでした。それは、「北の国から」の黒板五郎の生き方そのものであって、ある意味震災後の僕たち日本人の生き方にも通じるものだと思いました。

作者が蘇武に言わせている次の言葉が象徴的です。
「その冬で多くのことを学んだ。生きるたびに学ぶということを、それまでしたことがなかった。ひとつひとつが生命に繋がる。」

あるいは、「工夫する喜び。物を作る喜び。それを知ったのは、この土地に流されてからだった。どちらがいいとは、言えない。寒さを凌いで冬を乗り切る術は、長安では役に立たない。高位高官に昇ることは、この地ではなんの意味も持たない。」

そして、「蘇武がこの地に流されて考えたのは、国とはなにかということだった。それ以外は、寒さの凌ぎ方に智恵を絞り尽くした。国とは理不尽そのものではないか、と思い続けてきた。人の運命を、たやすくいじりまわす。」
「長安で、こんなに豊かに暮らしている人間はいない。無駄な贅沢しか知らない人間ばかりだ。考えてみろ。ここに無駄なものなど、なにひとつないのだからな。」

角川春樹事務所のPR誌、月刊「ランティエ」に連載されたこの小説、その長期にわたる執筆の期間中に発生した東日本大震災に著者も影響を受けたことを想像するのに難くありません。中国古代史のスケールの大きさを堪能しつつ、蘇武の生き方に震災後の日本、あるいは日本人としての生き方を重ね合わせて、生きることの意味をあらためて考えさせられました。