「天晴」・・・さだまさしさんのベストアルバムを聴きました

「常連さん達のお薦めメニュー」と、ライナーノートと呼ぶべきかどうか判断に迷うところの歌詞集の冒頭に記された言葉が、このアルバムを物語っています。いわゆるベスト盤が入門書的な意味合いが強いとすれば、このアルバム「天晴」はそれとは趣きを異にするのは当然かもしれません。

3枚のCDを「こころ」、「とき」、「いのち」と名付けた構成は、正にさだまさしさんの40年に及ぶ歌手生活のテーマであり、彼の音楽にデビュー当時から影響を受けてきた人たちにとっては自明の理というべきものでしょう。500曲を超える彼の創作した歌から選ばれたこのアルバムに収められた30数曲について個別のコメントをするつもりは毛頭ありません。

しかし、それぞれのテーマの序文として添えられた彼の言葉には、深い味わいがあります。
例えば、「常に己が『快』であるべく、己の心を制御出来たら本当の幸福が来るだろう。『こころ』はそういう風なもののようだ。」とか、「生きていることを歌うということは死ぬことを歌うことでもある。『自分は何者か』が哲学の入口なら『どう死にたいか』は出口だ。(中略)『いのち』の長さは人によって違うけれども、重さは違わない。」と。

人は生まれて来る時や場所を選ぶことはできません。そして、自ら命を断とうとする場合を除いては、死ぬる時を選ぶこともできません。人は生かされていると考えることで、与えられた「いのち」の炎を精一杯燃やさなければならないのでしょう。そんなことを考えながら、「いのち」をテーマに括られたて収録された曲を聴くことで、より深い思いになります。

収録されたこれらの楽曲のほとんどが発表された当時の音源によるものばかりであることが、あらためて新鮮さを感じてしまいます。歌い継がれてきたこれらの曲たちは、時代とともにライブステージでそれぞれに編曲されて、まるで生き物のように同じ歌であっても、新たな息吹を吹き込まれて来ていたように思います。当時の音源で聴くことで、意外に淡々と歌っている雰囲気が強いと感じつつも、創作された当初の思いが微妙に伝わってくるような気がしました。

そして、最も深く心に残った言葉。
「時間は平等に与えられているようだが、使い方で人によって伸び縮みするものだ。」
星野道夫さんが「すべてのものに平等に、同じときが流れている。」と表現したことに通じる言葉ですが、時をゆったりと過ごすことと、時間に追われながら日々を過ごすことの強迫観念とは紙一重かもしれませんが、心持ち一つで時の目盛りは長くも短くもなるのでしょう。つまりは、「とき」も「こころ」に通じてしまうと考えることで、やはり人は心で生きている生き物であるとの思いを新たにしました。

このアルバムに漏れてしまった名曲も数多くあります。「療養所」や「勇気を出して」、あるいは「生々流転」、「広島の空」や「祈り」。自分の人生をなぞりつつ、このアルバムに収録されなかった曲を思い浮かべながら、40年間彼の歌とともに歩んだ自分を振り返る機会を得ました。