運慶展開幕・・・運慶の造った仏様たちに会いに上野の森に

京都、奈良の寺社巡りを始めて14年。訪れた数は、100を超えました。仏像の前で合掌し頭を垂れる。それは、何かを祈るのではなく、自分自身と向き合う一瞬です。あるいは、その行為の瞬間に無心となると言っても良いのかもしれません。

仏像に接するとき、宗教的な見地から考える人、美術品として鑑賞の対象にする人、人それぞれです。特別な信仰心や審美眼を持たない僕は、その仏像が造られてから現在までの時間と歴史を考えてしまいます。

さて、東京国立博物館で興福寺中金堂再建記念と冠せられ、運慶が造った31体のうち22対が集まるという「運慶展」が始まっています。開幕に先立つ9月25日、内覧会に行って来ました。多川俊映興福寺管主のご挨拶で始まった開会式を経て公開されたのですが、時間的に十分余裕があり、至福の時を過ごしました。

会場に入ると、運慶の最初の作であると言われる、奈良県円成寺の大日如来像が目に飛び込んできます。多宝塔の中に安置されたお寺で拝した時には、用意された反射除けの眼鏡を使用してガラス越しに見たのですが、360度どの角度からも鑑賞できる展示スタイルで細かい部分まで観ることができました。

図録に同博物館の学芸企画課長が「運慶の造形の印象を深く脳裏に刻んでいただきたいというのが、この展覧会の狙いである。(中略)そして運慶風のきわめて濃い作品に絞り、快慶をはじめとする慶派仏師は展示リストに加えなかった。」と、説明しています。僕たちは学校で運慶、快慶と一緒に教えられた記憶があり、いずれも同じような仏像を造っていたのであろうと思っていました。

続けて、図録の説明によると、「快慶は端正な造形であり、その作風は絵画的であると評されている一方で、運慶は独創的な像を造る意識があったようであり、写実の追求が感情、精神といった内面にまで及んでいる。」と。そういえばこの4月に奈良国立博物館で開催された「快慶展」で感じた印象は以前のそれとは大きく変わったものでした。僕は両者ともに躍動感あふれる作風と思っていたのですが、そこで観たそれらはいずれも緻密なものばかりでした。

会場内を進んで行くと、いずれもどこかで観たことのあるような仏像ばかりで、それはお寺ばかりではなく、教科書やガイドブックなどの紙媒体で目にしたものばかりで、それらが間近で現物を観られるということに時間の経つのを忘れそうになりました。

とりわけ、北円堂を再現するかのような無著菩薩、世親菩薩を中心に据え、四方を南円堂に安置されている四天王が囲む展示空間は、圧巻でした。北円堂は春と秋にある程度の期間公開されますので四度拝観していますが、何せ南円堂は年に一日だけ公開ですので、四天王に拝するのは初めてです。

静の無著、世親両菩薩と、動、それも本当に今にも動き出しそうな四天王のコントラストは、鮮やかです。立ち止まっては観て、通り過ぎては振り返って、両菩薩の背中を観ながら四天王を観たり、また、一体一体身を乗り出して観たりもしました。

東大寺戒壇堂の四天王像を観る時の時間が止まったかのような感覚とは明らかに異なる、心が躍りだしてあっという間に時間が流れていくような不思議な感覚に包まれました。期間中に再度訪れたいと思っていますが、この場所だけで何時間でも過ごせそうな気がしました。