無力感と諦めに支配されそうな心と戦う

民主主義の根底を覆すようなことや社会を揺るがすことが頻発しても、何も変わらずに毎日が過ぎていきます。これでいいのかと思っている人は数多く存在するであろうし、そう信じたいと思っています。

人の上に立つ人間が持つべき気高さや謙虚さをまるで感じられない時代になってしまいました。現政権の下での国有地不当売却問題や国家戦略特区についての不当と思われる事業者選定。さらには、官僚による公文書改竄や隠蔽、国権の最高機関であるはずの議会での虚偽答弁まで、政治家や官僚のおよそ誠実さのかけらも感じられない振る舞いが横行しています。

総理や財務大臣、その周辺の人たちの口先だけの対応と何が起ころうとも責任を取ろうとしない態度には呆れるばかりか、悲しくもあります。そして、大学のアメリカンフットボール定期戦におけるプレーを終えた選手への背後からの悪質なタックル事件は、あまりにも対照的な当事者の人間性を見せつけられました。

僕もスポーツの指導者の端くれとして、負傷した選手の一日も早い回復と復帰を祈るのはもちろんですが、負傷させた選手の覚悟と潔さ、そして過ちを詫びる姿勢には胸を打たれました。もちろん、悪質なプレーそのものを肯定するつもりは毛頭ありません。しかし、20歳の青年をあそこまで追い込んでしまった大人たちの責任は重いものがはるはずです。

何故その事実が起こったのかを明らかにすることが真実とするならば、彼の指導者たちは到底真実を語っているとは思えません。 会見から伺えるのは、保身と自己弁護に汲々とする大人たちの姿でした。

実証性と客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する『反知性主義』が、政治家や官僚そしてスポーツにまでも蔓延っていると言わざるを得ないでしょう。それだから、自分だけでは何も変わらないと思うのですが、本当にこのままでいいのか、本を読みながら物事を考え関心を失わないよう、ささやかな抵抗をしたい自分がいます。