驟雨 突然の雨に打たれても

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zoom RSS 辺見庸さん 「1★9★3★7(イクミナ)」

<<   作成日時 : 2016/07/11 21:29   >>

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僕が所属している団体、それは業務遂行上必ず加入しなくてはならないのですが、昨年からその団体の定期総会の冒頭に国歌斉唱をすることになりました。サッカー場で日本代表の試合の前に歌う「君が代」とは、明らかに違う異質なもので、暗く澱んだ薄気味悪さに近い雰囲気を感じています。

昨年の秋以降、書く意欲が急速に萎んでいます。立憲主義に明らかに反する政治の有り様に失望を通り越した、絶望するには至りませんが、諦めに近い感情が胸いっぱいに広がっているからです。

本は読み続けています。砂場で山崩しをするかのように、買い求めた本の中で小説を残し、社会科学的な本ばかりを取り出して読んでいます。

「戦後の墓碑銘」(白井聡)、「検証 安倍イズム−胎動する新国家主義」(柿崎明二)、「安倍晋三『迷言録:政権・メディア・世論の攻防』(徳山喜雄)、「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(想田和弘)、「戦後政治を終わらせる−永続敗戦の、その先へ」(白井聡)、「『憲法改正』の真実」(樋口陽一、小林節)、「日本会議とは何か:『憲法改正』に突き進むカルト集団」(上杉聰)。

そして、発売前から出版差し止め請求が出された「日本会議の研究」(菅野完)、「憲法と政治」(青井未帆)、「時代の正体vol.2語ることをあきらめない」(神奈川新聞取材班)、「この国を揺るがす男:安倍晋三とは何者か」(朝日新聞取材班)。

二日前に読み終えたのが、辺見庸さんの「1★9★3★7(イクミナ)」です。自分の考えに近く、自分に耳障りの良いものばかりを読んでいないか、あるいは偏っていないか、自問自答しながらの読書が続いています。

それでも、辺見さんの著書は多くの示唆に富む僕たちが考えなければならない本質に迫っているもののように思わざるを得ません。「1937年」をタイトルにした本書は、日本軍が南京大虐殺を起こしたその年に焦点を当てて、僕たち日本人の内面を堀田善衛さんや武田泰淳さんなどの小説からの多くの引用と自身の父親の姿を投影しつつ、戦争と日本人について考察をしていきます。

「このクニはいまだにこんな空気と記憶のぬけがらが浮遊している。ニッポンはかつて、なんとなくそうなってしまった戦争にまきこまれることとなり、父祖たちはなんとなく兵隊になり、なんとなくたくさんのひとびとを殺すことになり、また、なんとなく多くのひとびとが殺されることとなり、いつのまにか原爆が落とされることになり、気がついたら、戦争がおわっていて、焼け野原になっていた。」

「なんとなく安倍政権がたんじょうすることとなり、なんとなく秘密保護法がとおることととなり、なんとはなしに武器輸出三原則がへんこうされて防衛装備移転三原則になり、いつのまにか憲法が有名無実と化すこととあいなり、ハッと気がついたら、戦争法案が可決されるということになっていた。」

日本人の意識の底にある、忘れたふりをして昔を残しておく、過去の過ちも責任もあいまいにして、忘れたふりをする無神経さを著者は炙り出しています。

そして、「過去の跫音に耳をすまさなければならない。あの忍び足に耳をすませ。げんざいが過去においぬかれ、未来に過去がやってくるかもしれない。」と結んでいるのです。

翻って、北朝鮮の暴発や尖閣辺りで中国との突発的な武力衝突の発生、あるいは反テロ戦争への参戦などに突き進んでいくと、一気に愛国化と翼賛化する可能性が高く、最初に国家ありきの全体主義化を図ろうとする政権の思う壺になりそうです。

何だか空恐ろしさを感じている僕は、考え過ぎなのでしょうか。

(いわゆる改憲勢力が3分の2を確保したとされる参議院議員選挙の次の晩に・・)


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